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今日の原田さんもかっこよかったですね
0:02 朝比奈隆1:35 クラウディオ・アバド2:48 ヘルベルト・フォン・カラヤン4:01 小澤征爾5:23 レナード・バーンスタイン6:38 セルジュ・チェビリダッケ
”チェリビダッケ”ですやん 😱
カラヤンのあんな大編成な数なのに圧倒的な統一感はやっぱすごいよなぁ、相変わらず弦楽器重視だけどアバドは金管がすごい聞こえてきた、ワクワク感があったバーンスタインはティンパニがめっちゃ聞こえてきて、何かを打ち付けてるみたい他の人も凄かったけどこの三人はなんか抜きん出てた感がある
個人的にはエグモント序曲(と運命)はフルトヴェングラーの演奏が一番好きです。
学生時代(もう何十年も前)、上野の文化会館でベルリンフィルとフルトベングラーの映画を見た。映画の内容は殆んど覚えてないが、チェリビダッケのエグモント序曲だけは忘れられない演奏と指揮だった。そして同じく上野文化会館で聴いたマタチッチ指揮N響・ソプラノ砂原美智子・語り手川久保潔によるエグモント全曲。全曲の最後にこのフィナーレが演奏された。マタチッチN響の圧倒的な音量と迫力・推進力に打ちのめされた記憶を覚えている。この中にマタチッチ・N響がないのが残念。
カラヤンの帝王感。ボウイングまで揃ってて統一感がある…
映像は別撮りなんですけどね
アバトの躍動感のある流れるような演奏が良いですね。レニーはいつもハッピーになりそうな演奏だと思う。小澤氏は元気になってほしいです。(心からそう思う)ところで、今日はジルベスターですね。楽しんでください。楽しい企画をありがとうございました。来年もよろしくお願いいたします。
やっぱり、カラヤンが一番好きだな~。とにかく、映像も音楽もすべてが美しい!!
この曲、大好きなのですがこのエンディングを聴き比べた限りでは、小澤氏がいいです👍️
晩年のアバド先生が、これに限れば若い頃に見せてくれていた熱量と音量を思わせる素晴らしい演奏をしていると感じました。バーンスタインの演奏は音楽が走り出したら、その後緊張感がちょっと緩みますね。朝比奈先生のは打楽器の音が聞くに堪えない。カラヤンはチャップリンの映画を思い出しました。
ヘッツェルが必死に締めてるんでしょう
アバドさんに1票👏🎶😊 クラシック大好き人間様今年1年ありがとうございました♪来年もよろしくお願い致します😌
この曲はフルトヴェングラーの演奏が1番好きです。あのテンポ感覚は誰にも真似できない。
若さが迸るチェリビダッケに1票
やはり小澤征爾さんが一番好き
僕はカラヤン派ですね。4台のトランペットが爽快ですし、団員の数がめっちゃ多いのカッコいいし、カラヤンも雰囲気ある容姿で好きです。
私はレニーの指揮が一番好きです。どの演奏でも体全体で音楽を奏でているアクションに惹かれます。チェリビダッケは晩年の教祖の様な?演奏からは信じられないくらいエネルギッシュです。これからもこの様な映像をどんどん紹介して欲しいです。
チェリビダッケなかなかハイテンポ
カラヤンの演奏には、男性だけの本当の本来の音がしているベルリン・フィルがマッチしている。
10台のコントラバスに4台のトランペットに20人の 第一バイオリンに4巻編成の木管は圧倒されますね。やはりカラヤンの大編成オケが感動します。
6:29 レナードのここからの動きが好きすぎる
待ってた!!!
チェリビダッケって若い頃あんな顔してたんやw
朝比奈さんベストです。ふくよかな堂々とした演奏です。次は小澤さんです。日本びいきでは無いのですが、リズムが日本人にはフィットしれように思います。
カラヤンの脳筋感が好きやねん
大好きな曲ですが 演奏の速度が不自然で聴き取りにくいです
この中で断然印象的ななのはやはりカラヤン16型4管編成なのにまるで小編成のような見事なアンサンブル。こんなの生で聴いたらぶっ倒れそうw歴史に残るのはカラヤンと見た。カラヤンのベートーヴェン今までバカにしていてごめんなさいm(_ _;)m
全く同じことを考えてました。おれが前に書き込んだコメントかと思ったよ。あと若いチェリがカッコいい!
Objective vote for Abbado, sentimental vote for Ozawa, and shocked to see that Celi was once so young (and favored fast tempi 😊). Happy New Year! 🎆
フルトヴェングラーが居ないこの比較なら、チェリビダッケ氏に一票❤
私はマエストロ朝比奈隆に一票!
カラヤンのビデオはあまりに不自然過ぎて気持ち悪さしか残らないです。これは映像を無しにして音だけで鑑賞する方がずっと良いでしょうね。音が割れ気味なのが少し残念ですが、アバドの演奏が自分は一番好きです。
チェリの映像どこで発見したのですか?幻の名指揮者と言われていて、ライヴのみでレコード等は一才認めない指揮者でした。それに対して、カラヤンはレコードのみならず映像にも積極的でしたが、その映像は予め録音され音楽に合わせて演奏するというスタイルで、ライヴ等では全くなく極めて不自然な映像で嫌いです。木管や金管は角度を皆揃えて、奏者の顔は映しません。オーケストラは皆カラヤンの楽器でしかないといった感じです。ポップスで言えば、口パクで録画された映像といった感じです。
私も以前ほどカラヤンの演奏が良いと感じなくなっていて、私の感覚が鈍くなったんだと思っていました。音を楽しむのだから、帝王という言い方も好きではなかったです。亡くなったマリス・ヤンソンスのように、音楽が好きでたまらないと感じられる指揮者が好きです。
ああ様。チェリビダッケの映像は映画「フルトヴェングラーと巨匠たち(Botschafter der Musik)」に含まれるものです。DVD化もされており、戦後のベルリンでの収録とされています。ご参考まで。
好き嫌いは主観ですから他人がとやかく言うべきではありませんが、カラヤンの意図を誤解している事を指摘いたします。彼はスタジオ録音や映像作品を実演の記録とは初めから考えていません。聴く者、観る者に対して、作品、作曲家の意図、作品に対するカラヤンの解釈を実演よりも的確に理解させる手段と考えていました。例えば、ご指摘の管楽器奏者の顔を写さないことについては、鑑賞者の注意が音楽から奏者の表情に逸れるのを避けるためだったと述べています。オーケストラ演奏において作品の解釈は指揮者がイニシアチブを取るのが一般的ですから、映像においても解釈を表現するのは指揮者一人であると考えていました。ですから、彼は表情、動き、特に上肢と指の動きで作品の性格や彼のイメージを映像で表現しようとしました。それを徹底するには実際に演奏している最中の指揮姿の映像では駄目で、まず演奏に集中して最高の演奏を録音した後、次にその音に合わせて作品の本質を表現するような指揮姿を録画し、両者を合わせる手法を取ったのです。更に分かりやすい例はオペラです。例えばカルメンでは、彼女がドン・ホセを見初めた事をホセに悟らせる瞬間がいつなのか、ビゼーの意図はどうなのか、カラヤンの映画ではそれはカルメンがバラの花を投げつけることで表されています。また、ボエームの最後、ミミが息を引き取る瞬間がいつなのか、プッチーニの意図はどうなのか、カラヤンの映画ではミミの右手にはめたマフが床に落ちる瞬間として表されています。どちらの例もオケの演奏の上でも表現していて、スコアを見ながら録音を注意深く聴けば指揮者によっては気付く演奏もありますが、カラヤンは映像によって決定的に正確に表現しています。このように、カラヤンは録音や映像の製作を、記録ではなく実演と対峙する表現手段と考えていました。これを欺瞞と評する方もいらっしゃいます。しかし指揮者が作曲家の意図をできるだけ的確に表現しようとするという点では、シューマンやリストの管弦楽曲を、その管弦楽法上の弱点を補うように演奏するのと同じだと、私は考えます。彼らは手本などない時代にこうしたオーケストラ演奏の映像化に挑戦した先駆者でしたから、現在の感覚で観ると確かに不自然な画像はたくさんありますが、試行錯誤の過程の産物とお考えください。実際、後の時代には奏者が写っている作品が多々ありますし、前述の映像作成ポリシーを堅持しつつ不自然さを抑える意図も伺えます。もし、舞台芸術のメディアに実演の再現しか役割がないなら、ホールの中の最も良い席でバイノーラル録音とステレオカメラ録画をし、それをヘッドフォンと3Dホログラムディスプレイで鑑賞するに尽きてしまうのではないでしょうか。
@@helisala5217 難しいことは言わない。おれが間違っていた。カラヤンいいよ。すごくいいよね。
レニーと小澤に1票ずつ。カラヤンは相変わらずの見ためだけ。
今日の原田さんもかっこよかったですね
0:02 朝比奈隆
1:35 クラウディオ・アバド
2:48 ヘルベルト・フォン・カラヤン
4:01 小澤征爾
5:23 レナード・バーンスタイン
6:38 セルジュ・チェビリダッケ
”チェリビダッケ”ですやん 😱
カラヤンのあんな大編成な数なのに圧倒的な統一感はやっぱすごいよなぁ、相変わらず弦楽器重視だけど
アバドは金管がすごい聞こえてきた、ワクワク感があった
バーンスタインはティンパニがめっちゃ聞こえてきて、何かを打ち付けてるみたい
他の人も凄かったけどこの三人はなんか抜きん出てた感がある
個人的にはエグモント序曲(と運命)はフルトヴェングラーの演奏が一番好きです。
学生時代(もう何十年も前)、上野の文化会館でベルリンフィルとフルトベングラーの映画を見た。
映画の内容は殆んど覚えてないが、チェリビダッケのエグモント序曲だけは忘れられない演奏と指揮だった。
そして同じく上野文化会館で聴いたマタチッチ指揮N響・ソプラノ砂原美智子・語り手川久保潔によるエグモント全曲。
全曲の最後にこのフィナーレが演奏された。マタチッチN響の圧倒的な音量と迫力・推進力に打ちのめされた記憶
を覚えている。
この中にマタチッチ・N響がないのが残念。
カラヤンの帝王感。
ボウイングまで揃ってて統一感がある…
映像は別撮りなんですけどね
アバトの躍動感のある流れるような演奏が良いですね。レニーはいつもハッピーになりそうな演奏だと思う。
小澤氏は元気になってほしいです。(心からそう思う)
ところで、今日はジルベスターですね。楽しんでください。
楽しい企画をありがとうございました。
来年もよろしくお願いいたします。
やっぱり、カラヤンが一番好きだな~。とにかく、映像も音楽もすべてが美しい!!
この曲、大好きなのですがこのエンディングを聴き比べた限りでは、小澤氏がいいです👍️
晩年のアバド先生が、これに限れば若い頃に見せてくれていた熱量と音量を思わせる素晴らしい演奏をしていると感じました。
バーンスタインの演奏は音楽が走り出したら、その後緊張感がちょっと緩みますね。
朝比奈先生のは打楽器の音が聞くに堪えない。
カラヤンはチャップリンの映画を思い出しました。
ヘッツェルが必死に締めてるんでしょう
アバドさんに1票👏🎶😊 クラシック大好き人間様今年1年ありがとうございました♪来年もよろしくお願い致します😌
この曲はフルトヴェングラーの演奏が1番好きです。
あのテンポ感覚は誰にも真似できない。
若さが迸るチェリビダッケに1票
やはり小澤征爾さんが一番好き
僕はカラヤン派ですね。4台のトランペットが爽快ですし、団員の数がめっちゃ多いのカッコいいし、カラヤンも雰囲気ある容姿で好きです。
私はレニーの指揮が一番好きです。
どの演奏でも体全体で音楽を奏でているアクションに惹かれます。
チェリビダッケは晩年の教祖の様な?演奏からは信じられないくらいエネルギッシュです。
これからもこの様な映像をどんどん紹介して欲しいです。
チェリビダッケなかなかハイテンポ
カラヤンの演奏には、男性だけの本当の本来の音がしているベルリン・フィルがマッチしている。
10台のコントラバスに4台のトランペットに20人の 第一バイオリンに4巻編成の木管は圧倒されますね。やはりカラヤンの大編成オケが感動します。
6:29 レナードのここからの動きが好きすぎる
待ってた!!!
チェリビダッケって若い頃あんな顔してたんやw
朝比奈さんベストです。ふくよかな堂々とした演奏です。次は小澤さんです。日本びいきでは無いのですが、リズムが日本人にはフィットしれように思います。
カラヤンの脳筋感が好きやねん
大好きな曲です
が 演奏の速度が不自然で聴き取りにくいです
この中で断然印象的ななのはやはりカラヤン
16型4管編成なのにまるで小編成のような見事なアンサンブル。こんなの生で聴いたらぶっ倒れそうw
歴史に残るのはカラヤンと見た。カラヤンのベートーヴェン今までバカにしていてごめんなさいm(_ _;)m
全く同じことを考えてました。おれが前に書き込んだコメントかと思ったよ。
あと若いチェリがカッコいい!
Objective vote for Abbado, sentimental vote for Ozawa, and shocked to see that Celi was once so young (and favored fast tempi 😊). Happy New Year! 🎆
フルトヴェングラーが居ないこの比較なら、チェリビダッケ氏に一票❤
私はマエストロ朝比奈隆に一票!
カラヤンのビデオはあまりに不自然過ぎて気持ち悪さしか残らないです。
これは映像を無しにして音だけで鑑賞する方がずっと良いでしょうね。
音が割れ気味なのが少し残念ですが、アバドの演奏が自分は一番好きです。
チェリの映像どこで発見したのですか?幻の名指揮者と言われていて、ライヴのみでレコード等は一才認めない指揮者でした。
それに対して、カラヤンはレコードのみならず映像にも積極的でしたが、その映像は予め録音され音楽に合わせて演奏するというスタイルで、ライヴ等では全くなく極めて不自然な映像で嫌いです。木管や金管は角度を皆揃えて、奏者の顔は映しません。オーケストラは皆カラヤンの楽器でしかないといった感じです。ポップスで言えば、口パクで録画された映像といった感じです。
私も以前ほどカラヤンの演奏が良いと感じなくなっていて、私の感覚が鈍くなったんだと思っていました。
音を楽しむのだから、帝王という言い方も好きではなかったです。
亡くなったマリス・ヤンソンスのように、音楽が好きでたまらないと感じられる指揮者が好きです。
ああ様。チェリビダッケの映像は映画「フルトヴェングラーと巨匠たち(Botschafter der Musik)」に含まれるものです。DVD化もされており、戦後のベルリンでの収録とされています。ご参考まで。
好き嫌いは主観ですから他人がとやかく言うべきではありませんが、カラヤンの意図を誤解している事を指摘いたします。彼はスタジオ録音や映像作品を実演の記録とは初めから考えていません。聴く者、観る者に対して、作品、作曲家の意図、作品に対するカラヤンの解釈を実演よりも的確に理解させる手段と考えていました。例えば、ご指摘の管楽器奏者の顔を写さないことについては、鑑賞者の注意が音楽から奏者の表情に逸れるのを避けるためだったと述べています。オーケストラ演奏において作品の解釈は指揮者がイニシアチブを取るのが一般的ですから、映像においても解釈を表現するのは指揮者一人であると考えていました。ですから、彼は表情、動き、特に上肢と指の動きで作品の性格や彼のイメージを映像で表現しようとしました。それを徹底するには実際に演奏している最中の指揮姿の映像では駄目で、まず演奏に集中して最高の演奏を録音した後、次にその音に合わせて作品の本質を表現するような指揮姿を録画し、両者を合わせる手法を取ったのです。更に分かりやすい例はオペラです。例えばカルメンでは、彼女がドン・ホセを見初めた事をホセに悟らせる瞬間がいつなのか、ビゼーの意図はどうなのか、カラヤンの映画ではそれはカルメンがバラの花を投げつけることで表されています。また、ボエームの最後、ミミが息を引き取る瞬間がいつなのか、プッチーニの意図はどうなのか、カラヤンの映画ではミミの右手にはめたマフが床に落ちる瞬間として表されています。どちらの例もオケの演奏の上でも表現していて、スコアを見ながら録音を注意深く聴けば指揮者によっては気付く演奏もありますが、カラヤンは映像によって決定的に正確に表現しています。このように、カラヤンは録音や映像の製作を、記録ではなく実演と対峙する表現手段と考えていました。
これを欺瞞と評する方もいらっしゃいます。しかし指揮者が作曲家の意図をできるだけ的確に表現しようとするという点では、シューマンやリストの管弦楽曲を、その管弦楽法上の弱点を補うように演奏するのと同じだと、私は考えます。
彼らは手本などない時代にこうしたオーケストラ演奏の映像化に挑戦した先駆者でしたから、現在の感覚で観ると確かに不自然な画像はたくさんありますが、試行錯誤の過程の産物とお考えください。実際、後の時代には奏者が写っている作品が多々ありますし、前述の映像作成ポリシーを堅持しつつ不自然さを抑える意図も伺えます。
もし、舞台芸術のメディアに実演の再現しか役割がないなら、ホールの中の最も良い席でバイノーラル録音とステレオカメラ録画をし、それをヘッドフォンと3Dホログラムディスプレイで鑑賞するに尽きてしまうのではないでしょうか。
@@helisala5217 難しいことは言わない。おれが間違っていた。カラヤンいいよ。すごくいいよね。
レニーと小澤に1票ずつ。カラヤンは相変わらずの見ためだけ。